2009年06月03日

I Dreamed a Dream ― おばさんには夢があった。

それは、去る2009年4月11日(土)、あるイギリスのテレビ番組から始まった。
"Britain's Got Talent" という、音楽タレント志望者のオーディション番組である。

そこへ出場したある女性がいる。スコットランドの小さな町からやってきた田舎のおばさんである。中年太りで決して美しくもない。ダサい服装と無造作な髪型、コンテストという華やかな舞台にはほとんど場違いの感がある。

審査員:「お幾つですか?」
女性:「47歳です」
審査員:「は…ん、そう」

といった対応で審査員もやる気のない様子。

審査員:「で、あなたの夢は?」
女性:「プロの歌手になること」
審査員:「たとえばめざす人は?」
女性:「エレイン・ペイジ (Elaine Paige) さんみたいな歌手になりたいです」
審査員:「ふ〜ん… そう」

言葉にこそ出さないが、審査員をはじめ観客の表情から読み取れるのは、「何を厚かましい」とか「何しに来たの、このおばさん」、「ちょっと勘違いしてるんじゃないか」といった冷笑や苦笑、おもしろ半分の好奇の視線。「ま、好きにやってくれ、誰も期待していないし」と言わんばかりの雰囲気の中で歌いだす彼女。歌の題名は、歌曲「レ・ミゼラブル」 (Les Misérables) から "I Dreamed a Dream" (私には夢があった)。

彼女は最初の一節を歌い始める。

"I dreamed a dream in time gone by"
(かって、私には夢があった)

突然、会場の空気が変わった。

"When hope was high and life worth living"
(希望高く、生きることに意味があったあのころ)

歓声の嵐が巻き起こる。

"I dreamed that love would never die"
(愛が不滅だと信じていた)
"I dreamed that God would be forgiving"
(神様は何でも許してくださると信じていた)

眉をつり上げ驚く審査員。顔を見合わせうなずき合う人々。満面の笑顔で手をたたく人、飛び上がる人。熱いざわめきが止まらない。目の奥がじわっとうるんでくる。まるで天から授かったかのような歌声に人々の感情が波のように動く。

"Now life has killed the dream I dreamed"
(人生がすっかり殺してしまった夢―私のみた夢)

彼女が最後の節を歌い上げると、観衆は総立ちになった。スターの誕生である。

スーザン・ボイル (Susan Boyle) さん、1961年4月1日生まれ、独身。母親が47歳のときの子で難産のため、その影響で学習障害が残り、小さいころはいじめられた経験を持つ。歌い手としてのキャリアは長く、地元の教会で歌ったり、地域のコンテストで優勝するなどのローカルなレベルで活躍を続けてきたが、今回のような大きな観衆の前で歌うのは初めての経験だった。生前、「"Britain's Got Talent" に出てみたら」と言っていた母(数年前に91歳で他界)の願いに応えるつもりで出場を決意したという。

田舎町の内気なおばさんが巻き起こした大旋風。"Britain's Got Talent" に初めて登場したときの録画ビデオが配布された YouTube には5日間で2000万件のヒット数があり、ワシントン・ポスト (Washinton Post: 2009年4月20日) によると、Internet 全体で彼女に関連する他のビデオも合わせて8500万件もの視聴を記録。これは、かのオバマ大統領 (President Obama) の勝利演説が1850万件だというからその数たるやすごい。また、ウィキペディア (Wikipedia) の記事では、発行後10日間で約50万ページビューを記録した。各ニュースメディアも取り上げ、無名のおばさんがわずか10日間ほどで世界的な有名人となった。

しかし、決勝では惜しくも敗れ、結果は2位。そして、極度の疲労からか、彼女は今病院にいる。回復を祈り、励ましのエールを送る人々もいる反面、「メディアも酷だよ、ヘンな期待を持たせて」、「彼女はそれほど才能があるとは思えない。ミュージカルというのはあんなものじゃない」など、心ない厳しい批評をする人たちもいる。

音楽、そして芸術とは何か―?

それは理屈ではない。「こうあるべき」という規則でもない。理論やルールで味わうものではない。100人いれば100人すべてを満足することは不可能に近い。

しかし、確実に、それを鑑賞した誰かが感動した。涙を流した。ほんの少しだけ、人生の意義を感じた。それが最も大切なのではないかと思う。

そして、それに触れたその人自身がそこから何かを感じ取れればそれでいい。

たとえば、

あなたがかって抱いていた夢。
記憶の引き出しの奥でほこりをかぶって消えそうになっている夢。
人生の歯車のなかでつぶされてしまった夢。

人生は一度きり、思い出してみませんか、そんな夢―。

以下は、"Britain's Got Talent" に登場したときのビデオと、彼女が歌った "I Dreamed a Dream" の歌詞(拙訳)である。

http://www.youtube.com/watch?v=9lp0IWv8QZY&feature=related

I dreamed a dream in time gone by
(かって、私には夢があった)
When hope was high and life worth living
(希望高く、生きることに意味があったあのころ)
I dreamed that love would never die
(愛が不滅だと信じていた)
I dreamed that God would be forgiving
(神様は何でも許してくださると信じていた)

Then I was young and unafraid
(若かった。怖いものなどなかった)
And dreams were made and used and wasted
(使い捨てのように次から次へと夢をみた)
There was no ransom to be paid
(義務や責任もなかった)
No song unsung, no wine untasted
(はしゃいで、騒いで、楽しんだ)

But the tigers come at night
(でも、やがて夜が来て、恐ろしい虎がやってくる)
With their voices soft as thunder
(雷が優しい声でささやくように)
As they turn your hope apart
(希望を粉々にし)
As they turn your dreams to shame
(夢を幻滅へと変えていく)

And still I dream he'd come to me
(まだ私は夢見ている)
That we would live the years together
(あの人がやってきて、ともに暮らせることを)
But there are dreams that cannot be
(だけどかなわない夢もある)
And there are storms we cannot weather
(予測できない嵐もある)

I had a dream my life would be
(こんなはずじゃなかった私の夢)
So different from the hell I'm living
(地獄のような今の生活)
So different now from what it seemed
(こんなはずじゃなかった)
Now life has killed the dream I dreamed
(人生がすっかり殺してしまった夢―私のみた夢)
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2008年11月05日

Yes We Can! ついにオバマ氏アメリカ第44代大統領に選出

シカゴ (Chicago) のグラントパーク (Grant Park)。
さまざまな人種や年齢の人々が、広大な敷地をモザイクのように埋め尽くす。
熱い歓喜のどよめき。
うねる星条旗の波。
2008年11月5日(現地4日)、初のアフリカ系アメリカ人大統領が誕生した。

"If there is anyone out there who still doubts that America is a place where all things are possible; who still wonders if the dream of our founders is alive in our time; who still questions the power of our democracy, tonight is your answer."
(アメリカとはすべての可能性が実現する国である。そんなことはないと疑っている人はいますか?偉大なるアメリカの建国者たちの夢は今でも生きている。ほんとにそうだろうかと思っている人はいますか?民主主義の力を信じられない人がいますか?もし、そんな人がいれば、今夜がそれを証明する答えです。)

オバマ大統領のスピーチが始まるとみな一斉に耳を傾ける。
涙と希望に目を輝かせて。
ある者は陶酔するように、ある者は"Yes, yes"と強くうなずきながら。
また、ある者は感動の涙に顔をくしゃくしゃにしながら、
ある者は誇らしげな笑顔をほころばせながら…。

日本では、たぶん見られない光景である。
起こらない出来事である。
今までも、そして、これからも。

Tonight is your answer.

The victory belongs to you.

それぞれの言葉の持つパワーを効果的に動員・調和させながら、最大限の言葉のエネルギーを作り出すオバマ・スピーチ。

ただでさえ、感動に揺さぶられている人々の心をさらにゆり動かす。
これでもか、これでもかと。

まさに、英語は「雄弁」のための言語だ。

そして、たぶん、日本語ではできない表現である。
語れない内容である。

日本人はあまりにも寡黙すぎる。
あまりにもシャイすぎる。
言語表現が平坦すぎる。

なぜなら、日本語は「寡黙」のための言語だから。

以下は、オバマ大統領のスピーチの全文です。

http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2008/11/05/AR2008110500013.html

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2008年10月07日

おかしな日本語表現

以前、国際交流の一環で、日本に住む外国人の人たちをある工場見学にお連れしたことがあります。

この人たちは、とりあえず日本語がわかるということで、工場の方が日本語で案内してくださることになりました。ところが、工場の担当者の方がていねいに説明してくださっているにもかかわらず、どうも通じていないよう気配です。もちろん、この工場の方は日本人ネイティブです。確かに、技術的な内容ですので、理解するのはむずかしいのかもしれません。あるいは、まだ日本に来て日も浅いのかもしれません。それにしても通じない、工場の方にも申し訳ない気がして困ってしまったことがあります。

こういう場合、英語が通じれば問題はありません。ところが、英語圏以外から来た人たちで、英語でのコミュニケーションも怪しいものがあります。そこで、一計を案じて試みたのが、工場の方の日本語をわざとカタコトの日本語に直してみるということです。具体的な内容は覚えていませんが、「さっき、見た、部品。→部品OK。→このライン通ってここに来る。そして、ここ、組み立てる」という具合です。

すると、全部でないにしろ、ずいぶんとコミュニケーションの通りが良くなったのです。それ以後は、工場の方が話す日本語をカタコト日本語に通訳することになったのは言うまでもありません。

また、これは仕事上でのことですが、ある台湾の方とのやりとりです。この方はいつも大量の注文をして来られる人で、「わかりました」と大変気持ちの良い返事をしてくださいます。ところが、ほんとにわかってくれているのかと思うとわかっていなかったり、コミュニケーションの誤解が頻繁に起こり、「あの人は誤解が多いから気をつけよう」という評判のあった人でした。

たとえば、電話で話していて、「それはいいです」というので「要らない」のだなと理解していれば、「いい」=「良い」から欲しいとのことだったり、こちらのシステムの流れを説明しても「はい、はい」と言ってくれるのですが、どうも不安です。そこで、「あなたこれ、必要。だから、あなた注文する、私たち送ります。あなた受け取る、お金払います。お金は○○円です」といった感じのカタコト日本語でやりとりをしていました。誤解のないように言っておきますが、これは、決して、日本語の苦手な外国人をからかっているのではありません。こうでもしないと、思ってもみない損失や手間がかかってしまうことがあるからです。

以上は、自分自身が「おかしな日本語」を使った経験でしたが、コミュニケーションにおいて大切なのは、ストレスなく通じること。そのためには、相手の言語パターンに合わせて話をする、このサービス精神が大切だと思います。逆に、日本に単身赴任していた英語圏の人が日本人にわかるような英語ばかりを使っていたら、帰国したときには「赤ちゃん英語」のようになってしまい、奥さんもびっくり、「あなた、日本でいったい何があったの?」と言われたというような笑い話もあるようです。

もちろん、実際の翻訳にカタコト英語や日本語を使うというのではありません。一口に日本語(英語)表現と言っても、そこにはいろんな要素があります。自分たちの思考・表現パターンで一方的に話をしても、それがそのまま通じるわけではないという認識が大切だと思うのです。
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2008年10月03日

繊細に、しかしダイナミックに

あの人は細かいところによく気がつくけど繊細すぎて… あるいは、人にできない思い切ったことをやれる人だがデリカシーがない、など人間のタイプにもいろいろありますが、人材として重宝され、より信頼感や好感を持ってもらえるのが、この両方を兼ね備えたバランスのとれた人だと言えるでしょう。

それはなぜかと言うと、ずばり、言っていることがわかりやすく、逆にこちらの言っていることもよく理解してくれる。つまり、コミュニケーションしていてストレスが少ない、付き合いやすいということになります。

コミュニケーションや付き合いがしやすいということは、お互いが伝えたいところの、より深いところまで理解できるということであり、共感が生まれ、より良い関係が築けるということです。

翻訳表現にもまったく同じことが言えます。

翻訳とは、言うまでもなくコミュニケーションです。細かい言葉尻や言い回しに捉われすぎると、ポイントのぼやけた表現になってしまいます。また、肩の凝る文章にもなります。逆に、大ざっぱに処理しすぎると、とんでもない誤解が生じる、知りたいところがわからない、ぶっきらぼうなコミュニケーションになります。当然、ストレスがたまります。

あるところでは繊細に、あるところではダイナミックに―。

これが、わかりやすく、ストレスのないコミュニケーションの基本です。

もちろん、適当に繊細さと大胆さを組み合わせればいいというのではありません。それでは、「空気の読めない」コミュニケーションになりかねません。どこで、どの程度繊細になり、大胆になればいいのか、この微妙な「さじ加減」が大切です。

そして、それは、情報を発信する人によっても異なり、それを受け止める人によっても異なります。業界によっても異なり、メディアによっても異なります。人間のやることですから、感覚的なもの、暗示や示唆を含むこともあります。したがって、定量化やマニュアル化できるものではありません。しかしながら、コミュニケーション能力のある普通の人ならば普通に行うことのできる部分でもあります。

「クリエイティブ翻訳」とは、二カ国間において、こういったごく当たり前のことを当たり前に行うことに他なりません。

2008年10月02日

「クリエイティブ翻訳」におけるコストダウン (2)

さて、人間系の思考・発想が必要な翻訳ライティングに比べて、コストダウンの可能性が大きいのがマニュアルなどの「単純作業」の部分がより多い制作物の翻訳です。

とは言え、「単純作業だから安い」など、やみくもにコストダウンできるかというと、もちろん、そんなことはありません。商品の操作や安全性、製造者責任といったことに関わる部分も大きいのがマニュアルでもあり、表現などで細心の注意が必要な文書でもあるわけです。

ですから、文字数(あるいは単語数)×単価という「単価」の部分はさほどコストダウンはできません(むしろ、下手に安くすると必ず品質に響きます)。では、どこをどうコストダウンするか―ということになりますが、それは、ずばり、翻訳する分量をいかに減らすかです。

と言っても全体の分量は決まっていますから、いかにして新しく翻訳する箇所を減らすか―つまり、重複や流用箇所を見つけるかということになります。

そういう背景から生まれたのが、いわゆるトラドス (Trados) などの翻訳支援ソフトです。翻訳メモリ(対訳リストのようなもの)に基づいて、同じ原文のところには自動的に同じ訳文が入る、グレーマッチ(よく似ている)文章には候補となる訳文が出てくるといった機能が特長です。ところが、作業に入る前に、「どの文章がどれと重複していて、重複箇所は何件ある」といったことが把握しづらいというのがコスト管理という視点からみると物足りない点でもあります。

これは、以前、発注側にいたときの経験ですが、見積依頼をすると、「だいたい合致度が○パーセントで、コストダウンできるのは全体の○パーセントぐらいですねえ。後はやってみないとわかりません」といった回答をよくいただくことがありました。確かに、大量の文書のなかから、1件1件、合致やマイナーチェンジで編集できる箇所を探せと言うのは無理な話です。

しかし、できればもっと詳細で具体的な数値(根拠)が欲しい―ということで、試行錯誤で作ってみたのが、自作「同一文章検索プログラム」の原型です。

私はプロのSEやプログラマーではありませんので、見よう見まねで MS Office のマクロを活用した簡易なものですが、現在では改良を加えて、多少時間はかかりますが、パソコンにやらせておけば8000件ほどの文章(マニュアルのページ数で200ページ程度)なら1時間ほどで、重複している文章のリストが出てきます。

もっとも、事前作業として、強制改行の調整などの原稿整理(これは手作業)がありますので、全体の時間としてはもう少しかかりますが、重複文の件数やどの文章がどれと同一であるかということが作業に入る前にわかるため、正確な作業量を把握することができます。ちなみに、ある文書を例に挙げると、文章8000件のうち1900件程度の重複箇所(親文章も含む、単語レベル除く)という結果が出ています。

また、第二段階として、同じ原稿データを用いて、同じ文章のパターンを探す「パターン検索プログラム」も自作しています。これは、同じ文章の構造をしていて、一部の単語を入れ替えるだけですむような文章のペアを探すということで、たとえば、

A) 【削除】するエントリーを選択すると、確認ダイアログが表示されますので、【「OK」】ボタンをクリックしてください。
B) 【追加】するエントリーを選択すると、確認ダイアログが表示されますので、【「実行」】ボタンをクリックしてください。

のように、A) を訳せば B) は単語の入れ替えだけですむような文章のペアを探すという作業です。

以前は、これを半自動+半手作業でやっておりましたので1〜2日かかっていましたが、今では、パソコンによる三方向からの抽出に90分(上記の文書)、パターン文章の件数は1200件程度です。

言うまでもなく、こういった重複文やパターン文の部分がコストダウンの対象となります。

その他にも効率化する方法をいろいろと試みていますが、翻訳する側にとっても、あらかじめ重複文やパターン文の詳細を把握していますから、「どこかにあったな、こんな文章」など、探す手間もなくなり、余計なことに気を取られず、翻訳ライティングに没頭できるわけです。
posted by tuben at 14:39| Comment(2) | TrackBack(0) | コストダウン

2008年10月01日

「クリエイティブ翻訳」におけるコストダウン (1)

前回の記事でも述べましたが、「クリエイティブ翻訳」の過程そのものは人間が考える仕事ですから、コストダウンできる部分はそれほど大きくはありません。しかし、「創造的な生業にコストダウンなど無縁だ」というと、これはもう芸術の世界になってしまいます。ではなくて、やはりビジネスですから、いかに人間系を機械系へシフトすることでコストダウンの可能性を模索するかという視点も必要だと考えています。

今回は、クリエイティブ翻訳によるプロジェクトを進めるうえで、実践している効率化アップの取り組みをご紹介します。

まず、独創性や感性が求められる翻訳ライティングの部分ですが、これは、発想や考える過程そのものを機械系で支援することで、考えがまとまりやすくなり、作業の効率化・スピードアップが図れる場合があります。時間と手間が少なくなれば、当然人件費を削減することもでき、コストダウンへとつながるわけです。

たとえ独創的とは言え、世の中には100パーセント「オリジナル」と言えるものは存在しないのではないかと思います。どんな独創的な作品であっても、必ずそこに、それを創造せしめた源(みなもと)となる何かがあるはずです。それは、以前にみた絵画かもしれないし、幼い頃の体験や、どこかでみた美しい風景かもしれません。意識しているかいないかにかかわらず、そういった原体験が素になってインスピレーションが生まれてくるものだと思います。

ということから、「発想・思考」系の効率化のカギは、インスピレーションを与える材料の引き出しをいかに機械で管理するかです。とは言え、美術館でみた絵画すべての画像をパソコンに落とし込むというのも現実的ではありませんし、脳のなかの「記憶・思い出」に関連する部分を取り出してマイクロチップに… などという技術もありませんので、言語表現でのレベルの話になります。

人間系だけになかなか実用レベルに達するのはむずかしいのですが、自分自身の取り組みとして、業界別用語集はもちろん、口語的な言い回し、表現集、リズムの似通った単語集、また、英語のライティングでは(専門用語を除いて)同じ単語の繰り返しを嫌いますので、同義語集なども含めた「インスピレーション」支援のための簡易データベースを構築中です。

しかしながら、多分に試行錯誤の部分が多いため、現在でも構築しながら活用中ですが、正直なところ、それほど目立った効果を上げていないのも事実です。また、かなりクリエイティブ度の高いものには安易に適用できる方法ではないことも付け加えておきます。

次回は、実際に効果を上げているマニュアルなどのクリエイティブ翻訳のコストダウンについて述べたいと思います。
posted by tuben at 17:30| Comment(0) | TrackBack(0) | コストダウン

2008年09月18日

「クリエイティブ翻訳」にコストダウンはないのか

「めざせ!コスト半減」などのスローガンを掲げて、どの企業でも徹底したコスト管理が求められている厳しい世の中です。そんな状況にあって、「クリエイティブ翻訳」にはコストダウンを実施する余地はないのか、ということになります。

その疑問に対しては、コストダウンできる部分もあり、できない部分もある―としかお答えできないと思います。

どんな業務や作業にも「人間系」の部分と「機械系」の部分があります。「人間系」とは、言うまでもなく、創造性、独創性、感性、知性などを基にした人間が介在しなければできない部分で、ものづくりで言うならば「職人芸」なども含まれるでしょう。一方、機械系は、平準化・マニュアル化された単純作業の部分で、一定のトレーニングをもとに誰にでも同じようにできる(できなければならない)部分でもあります。

そして、当たり前のことですが、コストダウンという取り組みが実現しやすいのは、後者の「機械系」の部分です。この部分には、文字通り、先進技術を適用するなどの機械化ができるからです。しかし、人間系のコストダウンはそれほど簡単ではありません。

この人間系の部分を無理にでもコストダウンしようと思えば、@国外などにより安い人材を求める、A利益を度外視してやってもらう、という2つの方法が考えられますが、@は将来的に安定したやり方ではなく、国際間取引におけるリスクも伴います。また、Aはビジネスではなく、ボランティアになりますので、健全なビジネス関係が成立しません。

となると、いかにして、人間系から機械系へのルートを作り、そこに乗せるかということになってきます。

どんな業務や作業であれ、技術の発達とともに人間系の部分から機械系の部分への移行が進み、昔は人間が行っていたことがどんどん機械にもできるようになってきます。つまり、この人間系から機械系へ移行する過程においてコストダウンの大きな可能性があるわけです。しかし、同時に、人間が利用する商品やサービスである限り、コアとなる人間系もまったくゼロにはならないだろうとも思うのです。

ですから、人間系の部分を付加価値として、それなりにふさわしい対価をきちんと求める代わりに、コストダウンの可能な機械系の部分をいかに増やしていくかを人間系で考え、創意工夫していくのが企業努力であり、望ましいビジネスのやり方ではないかと思うのです。

話を戻しますと、「クリエイティブ翻訳」は大ざっぱな言い方をしますと、人間系の作業です。

しかし、人間の性格にも「○○型人間」といった分類やパターン化がある程度は可能です。創造性や感性のような数値化や定量化が不可能であると思われる部分であっても、そこには必ず、何らかの発想や思考のパターンもあると思うのです。その部分をうまく処理し、機械系へと移していくことでコストダウンの可能性が出てきます。そして、将来的に、ニューロコンピュータのような技術が可能になったとき、人間のクリエイティブな作業も限りなくコスト大幅削減への道を歩み始めるのではないかと思います。
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2008年09月16日

翻訳せずして翻訳する

翻訳調の文章になる、ぎこちない表現になるなど、翻訳の問題にはいろいろあります。では、一体、なぜこうした翻訳の問題が出てくるかと言えば、それは、ずばり、「翻訳」するからです。

こう言ってしまえば元も子もないのですが、「翻訳」するから無理が出てくるのです。それは、どんな言語も同一ではなく、ましてや、日本語と英語などというと、それこそ正反対くらいの違いがあるため、そもそも「翻訳」して伝えようというところに無理があります。

じゃあ、どうすればいいのか?というと、答えは簡単で、翻訳しなければいいのです。

よく、英語学習においても、「英語を話すときには英語で考えろ」と言われます。まず、日本語で考えて、それを英語に訳しながら話していては時間がかかって会話にならないということですが、不自然な英語表現になってしまうということも言えると思います。

つまり、「翻訳」するのではなく、英語なら英語で最初からライティングする―ということが、自然な英語表現の第一歩なのです。「翻訳くささ」の臭いの元は「翻訳」というプロセス自体に自然的に発生するもので、臭いを元から断つには、翻訳しないのがベストだというわけです。

理想は、英語で情報発信したいと思う人がすべて、英語でライティングすればいいのですが、現実問題、なかなかそういうわけにはいきません。すべての人が英文を理解されているとは限りません。まして、ライティングができるという人も少ないと思われるからです。

そこで、第三者に英語に置き換えてもらう作業を依頼することになるのですが、このときに、「翻訳」ではなく、英文ライティングで作業をしてもらうということがひとつの解決策になるかと思います。つまり、あらかじめ日本語で書かれた情報を頭の中にインプットしたうえで、それを用いて、英語で考えながら英語で表現していくという作業を依頼するということになります。

しかし、翻訳会社さんなどにこういった依頼をすると、「まず翻訳してからライティングをしますので、料金がダブルになります」などと言われることもありますが、これではビジネスとしてはちょっとむずかしいですね。英語できちんと会話できる人は、「英語で考えて英語で話している」わけですから、英語できちんと文章をかけるはずの人であれば、「英語で考えて英語で書く」ということができるはずなのです。さらに言ってしまえば、ことさらに「ライティング」などという言葉を使うまでもなく、「翻訳」という業務はそれ自体、自然なライティングでなければならないと思っています。

もっとも、料金的にはA4の1ページ2000円などという料金ではここまでの作業はできません。現存の翻訳ソフトもまだまだ実用段階ではないため、自然な文章で書かれた翻訳ライティングは人間の創造的な頭脳を使って行う作業です。従って、技術革新で代用できる部分ではないので、昔20万円だったカラーテレビが今は数万円といったコストダウンはできないわけです。文章表現という点に絞って言うならば、「安かろう、悪かろう」というルールが明確に当てはまるというのが、翻訳ライティング業界でもあると考えています。

2008年08月01日

ザ・クリエイティブ・ショック

その昔、クリエイティブなショックを受けたことがあります。

それは、とある健康関連商品のプロモーションビデオの英語スクリプト(ナレーション原稿)を手がけたときの話です。

いつものように、パートナーのネイティブライターと共同で、日本語の原稿をもとにクリエイティブ翻訳ライティングを行いました。納期的な事情もあり、クライアントさんへ原稿を送ると同時に、ナレーションをしてくれるネイティブのナレーターにも原稿を送りました。

果たして、クライアントさんからはこれといった訂正箇所もなかったのですが、問題はそのナレーターからのフィードバックでした。

このナレーターはコピーライティングも手がける人で、キャリアも長く、けっこう日本では売れっ子だったようです。

さて、このナレーターいわく、「この原稿は使えない」と言うのです。

自分としては、それまで10年近くの経験があり、それなりの自信もあったものです。ナレーションの翻訳ライティングも何度も経験していました。もちろん、最終的に、実際に吹き込みを行うナレーターが、自分の好みなどを入れて若干修正を加えることはあります。それも、自分自身もナレーションには立ち会いますので、了解のうえでのことです。しかし、「使えない」と言われたことはありませんでした。

そのナレーターがリライトするとのことで、とりあえず、時間も迫っているので後はまかせることにしました。

そして、上がってきた原稿とは…。

そのイントロの書き出しを見てショックを受けました。

ちなみに、イントロは可愛い小鳥がさえずっているという「いやし」を連想させる映像で始まります。そして、日本語のナレーションには、はっきりは覚えていませんが、「わたしたちは人々の健康を云々… ○○に貢献します」というふうな企業メッセージが入っていました。こちらから出した原稿では、当然そのメッセージを律儀に文章表現していました。

ところが、リライトされた原稿では、たったの3ワード、

Peace, Care, Love...

なのです(ただし、この単語の順番は覚えていませんが)。

衝撃を受けました。

それまでの自分は、クリエイティブ翻訳とは言えども、原文に書かれていることをすべて余すことなく文章表現するのがプロだと思っていました。しかし、それは表面的なところにしか見ていなかったのです。

長々と書かれている紋切り型の表現をこの3つのワードに集約した、そのクリエイティブ力に圧倒されました。なるほど、決まりきったことを延々としゃべるよりも、短くてもインパクトのある表現のほうが効果があります。少ない言葉ですがパワーがこもるのです。その他の箇所でも、原文に合わせてくどくどと述べられている箇所が丸められて、非常にシェイプアップした形になっていたと思います。クライアントさんも含め、満場一致で、このナレーター案で進められたのは言うまでもありません。

もちろん、これは、クリエイティブ業界におけるライティングであるからこそ可能な手法です。また、クライアントさんによっても、日本語に忠実にやってもらわないと困るとおっしゃる方もおられるのは事実です。

この案件は、たまたまクライアントさん自身もクリエイティブ志向の方であり、関係者全員が同じ思いを共有することができた良い例だったと思います。

原文をそのまま律儀に表現することが決して良いものを作ることにはならない。それを確かに認識することのできた貴重な体験のひとつです。
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2008年07月29日

「クリエイティブ翻訳」とかけて (2)

「クリエイティブ翻訳」とかけて、日本のものづくりと解きます。

―その心は?

摺(す)り合わせ型の翻訳ライティングです。

それに対して、部品やモジュールのように、単語や文章単位で置き換えていくのが直訳や表面的な翻訳と言えるでしょう。そこには、組み合わせた単語同士がしっくりと来るか、文章間のつながりはスムーズに流れているか、文書全体の完成度はどうなのか、といった摺り合わせがありません。とは言え、意味的にも何となく通じるかもしれないし、安価に上がるのも事実です。

今は厳しい時代です。

産業分野においても、より安い労働力を求めて、国内の生産拠点の海外シフトが続いています。

そして、こういった厳しい時代には、人々は物質的なゆとりとともに、感性のゆとりも失ってしまいがちです。

電化製品売り場には、日本のブランド名でありながら、いかにも無理やりはめ込んだようなボタンやカバー、見た目にもわかるようなズレや隙間、ボタンを押すとおもちゃのような音がしてドアが開く… といったおよそ「日本のものづくり」とは思えないような製品が並ぶようになりました。用を足せばいい、安ければいいという実用性や功利性が追求され、ものとしての完成度、使い心地といった感性的な部分はもはや「ぜいたくな要素」のようです。

細かくチューニングされた個と全体の調和や使い心地といった要素は、摺り合わせならではの「ものづくり」です。そして、単なる日常的な道具であっても、そういった要素を楽しめるということは感性のゆとりを持っていること。それは、良いものは良いということを認めることかもしれません。

きれいごとを言っていられる時代ではないかもしれません。しかし、市場は、いつまで、こういった味気ない製造物に満足しているのか―というと疑問です。むしろ、現状にあっても、感性の遊びが楽しめないモノに心から満足している人が果たしてどれだけいるのでしょうか。

高額であればいいというのではありません。完成度の高いものづくりのために、当たり前のようにかかるコストは当たり前のように払ってもいいという人もいると思うのです。そのコストは感性のゆとりへの投資です。

保障期間以内に何度も故障し、そのたびに新品と交換してもらうために販売店に足を運ばなければならない。たとえ物理的な時間がたっぷりあったとしても、その時間と手間は、自分のゆとり感をどんどん食いつぶしているものでしかないという気がしています。

逆に、物理的なゆとりがないからこそ失いたくないもの―それが感性のゆとりですね。