2009年06月03日

I Dreamed a Dream ― おばさんには夢があった。

それは、去る2009年4月11日(土)、あるイギリスのテレビ番組から始まった。
"Britain's Got Talent" という、音楽タレント志望者のオーディション番組である。

そこへ出場したある女性がいる。スコットランドの小さな町からやってきた田舎のおばさんである。中年太りで決して美しくもない。ダサい服装と無造作な髪型、コンテストという華やかな舞台にはほとんど場違いの感がある。

審査員:「お幾つですか?」
女性:「47歳です」
審査員:「は…ん、そう」

といった対応で審査員もやる気のない様子。

審査員:「で、あなたの夢は?」
女性:「プロの歌手になること」
審査員:「たとえばめざす人は?」
女性:「エレイン・ペイジ (Elaine Paige) さんみたいな歌手になりたいです」
審査員:「ふ〜ん… そう」

言葉にこそ出さないが、審査員をはじめ観客の表情から読み取れるのは、「何を厚かましい」とか「何しに来たの、このおばさん」、「ちょっと勘違いしてるんじゃないか」といった冷笑や苦笑、おもしろ半分の好奇の視線。「ま、好きにやってくれ、誰も期待していないし」と言わんばかりの雰囲気の中で歌いだす彼女。歌の題名は、歌曲「レ・ミゼラブル」 (Les Misérables) から "I Dreamed a Dream" (私には夢があった)。

彼女は最初の一節を歌い始める。

"I dreamed a dream in time gone by"
(かって、私には夢があった)

突然、会場の空気が変わった。

"When hope was high and life worth living"
(希望高く、生きることに意味があったあのころ)

歓声の嵐が巻き起こる。

"I dreamed that love would never die"
(愛が不滅だと信じていた)
"I dreamed that God would be forgiving"
(神様は何でも許してくださると信じていた)

眉をつり上げ驚く審査員。顔を見合わせうなずき合う人々。満面の笑顔で手をたたく人、飛び上がる人。熱いざわめきが止まらない。目の奥がじわっとうるんでくる。まるで天から授かったかのような歌声に人々の感情が波のように動く。

"Now life has killed the dream I dreamed"
(人生がすっかり殺してしまった夢―私のみた夢)

彼女が最後の節を歌い上げると、観衆は総立ちになった。スターの誕生である。

スーザン・ボイル (Susan Boyle) さん、1961年4月1日生まれ、独身。母親が47歳のときの子で難産のため、その影響で学習障害が残り、小さいころはいじめられた経験を持つ。歌い手としてのキャリアは長く、地元の教会で歌ったり、地域のコンテストで優勝するなどのローカルなレベルで活躍を続けてきたが、今回のような大きな観衆の前で歌うのは初めての経験だった。生前、「"Britain's Got Talent" に出てみたら」と言っていた母(数年前に91歳で他界)の願いに応えるつもりで出場を決意したという。

田舎町の内気なおばさんが巻き起こした大旋風。"Britain's Got Talent" に初めて登場したときの録画ビデオが配布された YouTube には5日間で2000万件のヒット数があり、ワシントン・ポスト (Washinton Post: 2009年4月20日) によると、Internet 全体で彼女に関連する他のビデオも合わせて8500万件もの視聴を記録。これは、かのオバマ大統領 (President Obama) の勝利演説が1850万件だというからその数たるやすごい。また、ウィキペディア (Wikipedia) の記事では、発行後10日間で約50万ページビューを記録した。各ニュースメディアも取り上げ、無名のおばさんがわずか10日間ほどで世界的な有名人となった。

しかし、決勝では惜しくも敗れ、結果は2位。そして、極度の疲労からか、彼女は今病院にいる。回復を祈り、励ましのエールを送る人々もいる反面、「メディアも酷だよ、ヘンな期待を持たせて」、「彼女はそれほど才能があるとは思えない。ミュージカルというのはあんなものじゃない」など、心ない厳しい批評をする人たちもいる。

音楽、そして芸術とは何か―?

それは理屈ではない。「こうあるべき」という規則でもない。理論やルールで味わうものではない。100人いれば100人すべてを満足することは不可能に近い。

しかし、確実に、それを鑑賞した誰かが感動した。涙を流した。ほんの少しだけ、人生の意義を感じた。それが最も大切なのではないかと思う。

そして、それに触れたその人自身がそこから何かを感じ取れればそれでいい。

たとえば、

あなたがかって抱いていた夢。
記憶の引き出しの奥でほこりをかぶって消えそうになっている夢。
人生の歯車のなかでつぶされてしまった夢。

人生は一度きり、思い出してみませんか、そんな夢―。

以下は、"Britain's Got Talent" に登場したときのビデオと、彼女が歌った "I Dreamed a Dream" の歌詞(拙訳)である。

http://www.youtube.com/watch?v=9lp0IWv8QZY&feature=related

I dreamed a dream in time gone by
(かって、私には夢があった)
When hope was high and life worth living
(希望高く、生きることに意味があったあのころ)
I dreamed that love would never die
(愛が不滅だと信じていた)
I dreamed that God would be forgiving
(神様は何でも許してくださると信じていた)

Then I was young and unafraid
(若かった。怖いものなどなかった)
And dreams were made and used and wasted
(使い捨てのように次から次へと夢をみた)
There was no ransom to be paid
(義務や責任もなかった)
No song unsung, no wine untasted
(はしゃいで、騒いで、楽しんだ)

But the tigers come at night
(でも、やがて夜が来て、恐ろしい虎がやってくる)
With their voices soft as thunder
(雷が優しい声でささやくように)
As they turn your hope apart
(希望を粉々にし)
As they turn your dreams to shame
(夢を幻滅へと変えていく)

And still I dream he'd come to me
(まだ私は夢見ている)
That we would live the years together
(あの人がやってきて、ともに暮らせることを)
But there are dreams that cannot be
(だけどかなわない夢もある)
And there are storms we cannot weather
(予測できない嵐もある)

I had a dream my life would be
(こんなはずじゃなかった私の夢)
So different from the hell I'm living
(地獄のような今の生活)
So different now from what it seemed
(こんなはずじゃなかった)
Now life has killed the dream I dreamed
(人生がすっかり殺してしまった夢―私のみた夢)
posted by tuben at 01:57| Comment(5) | TrackBack(0) | 日記
この記事へのコメント
歌詞ありがとうございます!
Posted by at 2009年12月04日 20:50
But the tigers come at night
(でも、やがて夜が来て、恐ろしい虎がやってくる)

についてなのですが、なぜ虎が複数なのでしょう?
「夜になると虎たちがやってくる」とフト思うのですが・・・こちらのほうが、はるかに恐怖です。毎晩?
Posted by sacrack at 2010年04月03日 19:02
コメントありがとうございます。
深いご質問ですね。愛する人に捨てられ未婚の母になった女性の歌ですが、tigerは「比ゆ」として使われていますので、恐ろしい人(残忍な)―それも一人ではなく複数―と解釈できますが、詩ですから、そのままダイレクトには表現せず、読む人の理解にまかせる部分もあるのだと思います。nightも「闇」のようなものを暗喩しているのかもしれません。the tigersとtheがついているのも何かありそうですが、いずれにしろ、私もLes Miserablesはあまり詳しくありませんので何とも言えません。また、日本語では「虎たち」などと訳すとくどい(単数・複数は脈絡において重要な要素でない)という判断から単数にしていますが、別に「虎」じゃなく思い切って他の表現も可能だと思います。きちんとお答えできなくてすみません。
Posted by ronde at 2010年04月04日 01:39
遅くなりましたが丁重なレスをありがとうございました。詩には読んだ人の数だけの落とし所があるようです。
翻訳を図書館で借りて”レ・ミゼラブル”は読んでみようと思っています。夏休みに!
 それでは、よい、お仕事を。
Posted by sacrack at 2010年04月13日 16:49
お久しぶりです。
お元気でいらせられますか?
ブックオフに春樹訳の「長いお別れ」をみかけて気がついたら自宅で、つい読んでイましのよ。
 おぉ!お酒についての洞察はスルドイじゃん、とか、この書籍で利益が出る日本ってスゴイじゃん!とか
 とか、とか北斎が貧乏したのは一番高い本を買っていたのかよ(ケラケラ)とか、ゴッホはやっぱりゴーギャンから耳を切られたのかぁ!
 とか

 で、ね 今日のコメントは「ピンチ」を日本語でどう訳すか 「苦境」ではないと 思う。んだけど、どうだろう。
Tigersの複数は たぶん 「翻訳しない」というのが正解なのかなと思いますた。


Posted by sacrack at 2010年05月15日 18:44
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