2008年06月21日

「クリエイティブ翻訳」というネーミング

「この"クリエイティブ翻訳"っていうネーミングがいいよね」とよく言われます。先日も、元同僚で、今は仕事仲間でありお客さんでもある、制作会社の担当者から連絡があって、「以前お世話になったお客さんから、また"クリエイティブ翻訳"をお願いしたいということなので、よろしくね」ということ。その仕事仲間いわく、「わかりやすいネーミングだよね」ということですが、つけた本人は、わかったようなわからんような… 通じてるのかな?というのが正直なところです。

確かに、なんでもない「クリエイティブ」という言葉と「翻訳」をくっつけただけの話なのですが、なかなか普通は結びつかない組み合わせで、それが事実、こんなキーワードの組み合わせで検索する人もほとんどいないようです(いれば、私のHPのアクセスももっと増えていることでしょう)。

しかし、普通の翻訳ではなくクリエイティブに表現した翻訳か、あるいは、クリエイティブ業界における翻訳だろう、というようなことは感覚的に伝わるようで、両方とも正しい解釈なので、これでよしとしたいと思います。

では、なぜ、「翻訳」が「クリエイティブ」なのか、ということになります。

機械翻訳や直訳は問題外として、「翻訳」という作業をどう捉えるかということになりますが、まるで、最初から相手先の言葉で書かれたかのような、翻訳を感じさせない翻訳にするためには、クリエイティブにならざるを得ないということが言えると思います。

「クリエイティブ翻訳」についての詳しい紹介は、「通弁」クリエイティブ翻訳ホームページに掲載していますので、興味のある方はどうぞ。

「クリエイティブ翻訳」の起源

「なんだね、これは!キミはこれでいいと思っているのかね!」というのは、とあるクライアントさんからの「お叱り」の言葉。いまはもう昔話になりましたが、駆け出しの頃に作成した英文カタログのリードコピー(文案)に対するクレームです。「普通の文章の羅列で、ヘッドラインにもインパクトがない」というのです。

このクライアントさんは、当時(現在はわかりませんが)は、英語版は日本語版とは独立した形で別途作成という方針を持っておられたため、文章も単なる翻訳ではなく、どちらかというと、日本語版を参考にしながらの「英語での書き起こし」になります。しかも、一般消費財ですから、いかに退屈させず読ませるか―ということが大きなポイントでもあったわけです。

大学卒業後、入社した制作会社では、ここのクライアントさんがメインのお客さまでした。そのため、英語版制作についても、単なる翻訳ではなく、英語のライティングとして作成するというユニークな考え方をしており、リライトやプルーフ・リーディングを行う英語圏のネイティブライターがオフィスに常駐していました。

こういった方法は当時でもめずらしく、「クリエイティブな英文表現スキル」が身に付くという点が大きな魅力でもありました。ちなみに、同時に就職活動をしていた別の制作会社(やはり、大手企業をメインのクライアントさんとして持っていました)では、翻訳会社に依頼した翻訳をベースにしているとのことでした。

英文コピー作成の方法としては、日本語の情報を英語でディレクションしながら、一からネイティブライターに書いてもらうというやり方と、まず、英文コピー担当者が文案を作成し、リライトあるいはチェックをネイティブに依頼するという方法がありました。私も英文コピー担当者として海外制作部門に所属していましたが、制作物の種類や内容に応じて、これらの方法を使い分けていました。

以上のような状況だったので、「クリエイティビティがない」だの、「表現に工夫がない」といった、クライアントさんからのクレームは日常茶飯事。とくに、若年の頃には、英語としてどんな表現がクリエイティブなのか、インパクトがあるのかということが、いまひとつわかりません。自分で「これはいい」と思っていても、ネイティブの感覚からすれば、全然「イケテない」のです。

なかでも、頭を悩ませたのは、ここ一番インパクトのある表現が欲しい!というときに、ネイティブの段階で普通の表現に書き直されて上がってくるということで、冒頭に掲げた例もそんな日常の一コマです。ネイティブの国籍、経験、感性によるところも多いのですが、こちらの表現力が乏しいために「意図が通じていない」ということもあったようです。

ネイティブには意図が通じない、クライアントさんからはお叱りを受ける、で両者の板ばさみ状態になることもありましたが、このような条件や環境が「クリエイティブ翻訳」が生まれた土壌となっています。

2008年06月24日

翻訳くさい文章

最初に、翻訳くさ〜いと思われる文章の例を1つ挙げてみます。

「翻訳の品質に対して考え直してみますか?もちろん、そうしましょう。もし、あなたの関心が、日本において成功するマーケティングであるならば、単語ごとの翻訳は、あなたが欲する最後のものかもしれません。」
(原文:A second thought to translation quality? Why not? If your concern is successful marketing in Japan, word-for-word translation may be the last thing you want.)

「あなたは、あなたの商品(あるいはサービス)は固いものでしかないから、あなたのビジネスはクリエイティブなライティングは必要ないと考えていますか?でも、待ってください。あなたは、あなたが英語以外の言語で言わねばならないどんなことにおいても、あなたの言うことを明確にするには、いくらかの創造性を依然として使うことができるのです。」
(原文:Do you think your business doesn't need creative writing, because your product (or service) is just a hard stuff? But wait. You can still use some creativity in making yourself clear in whatever you have to say in a language other than English.)

いかがでしょうか?

いや、「いいんじゃない、気にならないよ」とか、「その異国の香りがいいんだ」、「これこそ舶来のアロマ」などと思われる方は、この記事をこれ以上読んでいただく必要はないでしょう(時間のムダだと思います)。人にはそれぞれ、いろんな考え方があります。こういった文章を良しとするなら、それはそれで尊重したいと思います。

しかし、このような文章を「翻訳くさい」「読みにくい」「日本語になっていない」という人も確実に存在するわけで、そういった人たちが翻訳臭さに気を取られてしまうということは、大事なメッセージを伝えるうえで、何らかの障害になっていることは否定できません。最初から読まないという人もいるかもしれません。

逆に、こんなひどい文章が実際に世の中に出回っているとは考えにくい。筆者が勝手に作ったのではないか?とおっしゃる方もいらっしゃるかもしれません。お断りをしておきますが、この文章例は私が作りました(実際の例を挙げるわけにはいきませんので)が、こういった感じの文章をよく見かけるのも事実なのです。そして、きちんと、ホームページなどで掲載されています。

そして、もうひとつ言えることは、英語から日本語でこういうことが起こっているのなら、日本語から英語への翻訳でも同様の現象があるのではないかということです。

では、なぜ、そういった翻訳臭い文章ができあがるのか?最初からネイティブが文章を書けば「翻訳臭さ」がなくなるのか?

それは下記のサイト・ページで説明していますので、そちらをご覧ください。

http://www.rondely.com/tuben/CoreMsg3.htm

2008年07月22日

「クリエイティブ翻訳」とかけて (1)

「クリエイティブ翻訳」とかけて、粒入りジュースと解きます。

―その心は?

よく振ってから翻訳します。

ジュースに限りませんが、液体中に含まれた微粒子や固体物は、その重力によって底に沈殿します。一見した限りでは、水面は透明感があり、穏やかですが、撹拌(かくはん)することで底の沈殿物が浮上し、液全体が濁ってきます。飲み物であれば味も異なってきます。

よく振って飲む―これが粒入りジュースの楽しみ方です。

これを翻訳にたとえると、直訳や表面的な翻訳というのは、撹拌する前の、静的で薄い水面だけを処理することだと思うのです。

ところが、底にたまっている内容物は大切な栄養分であったり、液体全体の色や味を決定する要素であることも多いものです。

ですから、水面から見えるものだけを表現したのでは、本当に大切なものが伝わらないことになってしまいます。だからこそ、全体をよく振って、吟味してから文章表現することが大切だと思うのです。

とくに、直接的な表現を嫌う日本語には、こういった傾向が強いと思います。表面はさらっと穏やかに見せながら、実は言いたいことが水面下に隠されている、そこに「あうん」や「ツーカー」の意思疎通が成り立っているのではないかと思います。わざわざ振って見せなくても、相手が勝手に振って味わってくれる、日本古来の「粋」な精神だったのです。

でも、これは英語を使ったコミュニケーションでは通用しません。振ってやらなければわからない、それが西洋の意思疎通の方法だと思うのです。

つまり、日本語は沈殿した粒入りジュースなら、英語は撹拌した状態の粒入りジュースだということです。

そして、撹拌させたり、沈殿させたりして、調整しながら、読者が楽しめる状態に表現しなおすこと、

―それが「クリエイティブ翻訳」だと考えています。

2008年07月29日

「クリエイティブ翻訳」とかけて (2)

「クリエイティブ翻訳」とかけて、日本のものづくりと解きます。

―その心は?

摺(す)り合わせ型の翻訳ライティングです。

それに対して、部品やモジュールのように、単語や文章単位で置き換えていくのが直訳や表面的な翻訳と言えるでしょう。そこには、組み合わせた単語同士がしっくりと来るか、文章間のつながりはスムーズに流れているか、文書全体の完成度はどうなのか、といった摺り合わせがありません。とは言え、意味的にも何となく通じるかもしれないし、安価に上がるのも事実です。

今は厳しい時代です。

産業分野においても、より安い労働力を求めて、国内の生産拠点の海外シフトが続いています。

そして、こういった厳しい時代には、人々は物質的なゆとりとともに、感性のゆとりも失ってしまいがちです。

電化製品売り場には、日本のブランド名でありながら、いかにも無理やりはめ込んだようなボタンやカバー、見た目にもわかるようなズレや隙間、ボタンを押すとおもちゃのような音がしてドアが開く… といったおよそ「日本のものづくり」とは思えないような製品が並ぶようになりました。用を足せばいい、安ければいいという実用性や功利性が追求され、ものとしての完成度、使い心地といった感性的な部分はもはや「ぜいたくな要素」のようです。

細かくチューニングされた個と全体の調和や使い心地といった要素は、摺り合わせならではの「ものづくり」です。そして、単なる日常的な道具であっても、そういった要素を楽しめるということは感性のゆとりを持っていること。それは、良いものは良いということを認めることかもしれません。

きれいごとを言っていられる時代ではないかもしれません。しかし、市場は、いつまで、こういった味気ない製造物に満足しているのか―というと疑問です。むしろ、現状にあっても、感性の遊びが楽しめないモノに心から満足している人が果たしてどれだけいるのでしょうか。

高額であればいいというのではありません。完成度の高いものづくりのために、当たり前のようにかかるコストは当たり前のように払ってもいいという人もいると思うのです。そのコストは感性のゆとりへの投資です。

保障期間以内に何度も故障し、そのたびに新品と交換してもらうために販売店に足を運ばなければならない。たとえ物理的な時間がたっぷりあったとしても、その時間と手間は、自分のゆとり感をどんどん食いつぶしているものでしかないという気がしています。

逆に、物理的なゆとりがないからこそ失いたくないもの―それが感性のゆとりですね。

2008年09月16日

翻訳せずして翻訳する

翻訳調の文章になる、ぎこちない表現になるなど、翻訳の問題にはいろいろあります。では、一体、なぜこうした翻訳の問題が出てくるかと言えば、それは、ずばり、「翻訳」するからです。

こう言ってしまえば元も子もないのですが、「翻訳」するから無理が出てくるのです。それは、どんな言語も同一ではなく、ましてや、日本語と英語などというと、それこそ正反対くらいの違いがあるため、そもそも「翻訳」して伝えようというところに無理があります。

じゃあ、どうすればいいのか?というと、答えは簡単で、翻訳しなければいいのです。

よく、英語学習においても、「英語を話すときには英語で考えろ」と言われます。まず、日本語で考えて、それを英語に訳しながら話していては時間がかかって会話にならないということですが、不自然な英語表現になってしまうということも言えると思います。

つまり、「翻訳」するのではなく、英語なら英語で最初からライティングする―ということが、自然な英語表現の第一歩なのです。「翻訳くささ」の臭いの元は「翻訳」というプロセス自体に自然的に発生するもので、臭いを元から断つには、翻訳しないのがベストだというわけです。

理想は、英語で情報発信したいと思う人がすべて、英語でライティングすればいいのですが、現実問題、なかなかそういうわけにはいきません。すべての人が英文を理解されているとは限りません。まして、ライティングができるという人も少ないと思われるからです。

そこで、第三者に英語に置き換えてもらう作業を依頼することになるのですが、このときに、「翻訳」ではなく、英文ライティングで作業をしてもらうということがひとつの解決策になるかと思います。つまり、あらかじめ日本語で書かれた情報を頭の中にインプットしたうえで、それを用いて、英語で考えながら英語で表現していくという作業を依頼するということになります。

しかし、翻訳会社さんなどにこういった依頼をすると、「まず翻訳してからライティングをしますので、料金がダブルになります」などと言われることもありますが、これではビジネスとしてはちょっとむずかしいですね。英語できちんと会話できる人は、「英語で考えて英語で話している」わけですから、英語できちんと文章をかけるはずの人であれば、「英語で考えて英語で書く」ということができるはずなのです。さらに言ってしまえば、ことさらに「ライティング」などという言葉を使うまでもなく、「翻訳」という業務はそれ自体、自然なライティングでなければならないと思っています。

もっとも、料金的にはA4の1ページ2000円などという料金ではここまでの作業はできません。現存の翻訳ソフトもまだまだ実用段階ではないため、自然な文章で書かれた翻訳ライティングは人間の創造的な頭脳を使って行う作業です。従って、技術革新で代用できる部分ではないので、昔20万円だったカラーテレビが今は数万円といったコストダウンはできないわけです。文章表現という点に絞って言うならば、「安かろう、悪かろう」というルールが明確に当てはまるというのが、翻訳ライティング業界でもあると考えています。

2008年10月03日

繊細に、しかしダイナミックに

あの人は細かいところによく気がつくけど繊細すぎて… あるいは、人にできない思い切ったことをやれる人だがデリカシーがない、など人間のタイプにもいろいろありますが、人材として重宝され、より信頼感や好感を持ってもらえるのが、この両方を兼ね備えたバランスのとれた人だと言えるでしょう。

それはなぜかと言うと、ずばり、言っていることがわかりやすく、逆にこちらの言っていることもよく理解してくれる。つまり、コミュニケーションしていてストレスが少ない、付き合いやすいということになります。

コミュニケーションや付き合いがしやすいということは、お互いが伝えたいところの、より深いところまで理解できるということであり、共感が生まれ、より良い関係が築けるということです。

翻訳表現にもまったく同じことが言えます。

翻訳とは、言うまでもなくコミュニケーションです。細かい言葉尻や言い回しに捉われすぎると、ポイントのぼやけた表現になってしまいます。また、肩の凝る文章にもなります。逆に、大ざっぱに処理しすぎると、とんでもない誤解が生じる、知りたいところがわからない、ぶっきらぼうなコミュニケーションになります。当然、ストレスがたまります。

あるところでは繊細に、あるところではダイナミックに―。

これが、わかりやすく、ストレスのないコミュニケーションの基本です。

もちろん、適当に繊細さと大胆さを組み合わせればいいというのではありません。それでは、「空気の読めない」コミュニケーションになりかねません。どこで、どの程度繊細になり、大胆になればいいのか、この微妙な「さじ加減」が大切です。

そして、それは、情報を発信する人によっても異なり、それを受け止める人によっても異なります。業界によっても異なり、メディアによっても異なります。人間のやることですから、感覚的なもの、暗示や示唆を含むこともあります。したがって、定量化やマニュアル化できるものではありません。しかしながら、コミュニケーション能力のある普通の人ならば普通に行うことのできる部分でもあります。

「クリエイティブ翻訳」とは、二カ国間において、こういったごく当たり前のことを当たり前に行うことに他なりません。